コラム吉野実社会

アルバイトの苦学生を直撃 ~後手後手の政策で窮地に

 「居酒屋のバイトも塾の講師もなくなってしまいました。国の給付金も大学からもらえるという5万円もいつになるかわからない」

 そうため息をつくのは、横浜市に住む男子大学生Aさん(19)だ。福岡から上京し、奨学金とアルバイトで授業料と生活費を賄っている。

 だが、アルバイト先は新型コロナウイルスに伴う「緊急事態宣言」で休業中だ。ただでさえカツカツなのに、食費を1日300円に抑えて耐え忍んでいるという。一番早い国からの給付金が振り込まれるのは、横浜市の場合は5月下旬以降だ。「待てないから、日給のバイトも始めましたが、収入は安定しません。家賃をどうしようか、退学した方がいいのか、いろいろ考えて夜も眠れません」

 都内に住む女子大生A子さん(20)も、百貨店にあるレストランのアルバイトを失った。学費とアパート代は両親が払ってくれるものの、生活費は月4万円余りの奨学金と、6、7万円のアルバイト収入が欠かせない。実家の母親も新型コロナの影響で〝パート失業〟中だ。「当面は、貯金を取り崩して生活費に充てます」というしっかり者だが、不安は隠せない。

7割が将来に不安

 全国大学生協連のアンケート(2020年4月調べ)によると、コロナ禍でアルバイト収入が減少した学生は5割を超え、将来に不安を抱える学生も約7割に達した。学業の継続が難しいなど、深刻な悩みも多く寄せられている。国からの10万円が支給され、大学から5万円程度の緊急援助を受けたとしても、生活を支えられる期間はせいぜい1、2カ月だろう。

 政府は5月19日、給付金とは別に、困窮する大学生、大学院生らに最大で20万円支援することを決定した。25日には東京都も含む全国すべての緊急事態宣言も解除されたが、アルバイトがすぐに復活するわけではなく、政策が後手後手の感は否めない。学生時代にカネの苦労とは無縁だっただろう世襲議員も少なくない政権に、困窮学生への共感を期待するのは無理なのか。腹立たしく、絶望的な気分になる。

 1980年代に高校、大学生だった筆者は、家庭の事情で高校からアルバイト漬けで、大学進学は諦めていた。

 しかし、祖父が入学金を出してくれたことと、授業料を月謝で納められたことから「大学に行こう」という気持ちになった。そして、入学後も貯金を重ね、大学2年の時にアパートを借りた。

 屋台での物売りや、土木作業員などで食いつなぐ生活は苦しかったが、時給の高い塾の講師などに恵まれたこともあり、なんとか卒業することができた。もし当時「コロナ禍」が起きていたら、筆者は大学を中退していただろう。

 今の大学生の置かれている環境は、われわれの時代よりはるかに厳しい。筆者の出身大学(私立文系)の授業料は、1980年代の2倍を超える。親の援助が期待できない場合、これを全額奨学金で充てたとしても、生活費はアルバイト頼りになる。代返ができて、授業出席率が3割程度だった筆者とは異なり、今の学生の出欠は厳しく管理されている。

 だから、アルバイトは夜間が中心になる。今回の取材で聞き取った学生の職種は、居酒屋、レストラン、コンビニエンスストアが多かった。昼は授業がありアルバイトがしづらいからだろう。寝る間も削らなければならないのだ。

ぜひ卒業を

 困窮する学生をどう支援するか。筆者の個人的見解だが、大学は、今後、新たに緊急事態宣言が出た場合も、月5万円以上の支援をしてほしい。また、国は一律10万円と、これとは別に受けられる最大20万円の支援を早急に実施しなければならない。緊急事態宣言後2カ月近くたつのに、現金を手にできない学生がいることを、重く受け止めるべきだ。

 苦学生の生活は、学問に部活、サークル活動などに十分な時間を割き、青春を謳歌できる普通の学生生活とは無縁だ。働きづくめで、時には疲れ果て、自棄(やけ)になることもあるだろう。

 だが、ぜひこの苦しい時期を乗り越えてほしい。乗り越えれば、遊びほうけていた学生とは比べ物にならない自信と充実感を得ることができる。出来の悪かった筆者ですらそうだった。使えるものは何でも活用して、ぜひ卒業を勝ち取ってほしい。

[筆者略歴]

吉野 実 (よしの・みのる)

中日新聞(東京新聞)などを経て、テレビ朝日報道局社会部(原子力、環境担当)。オウム事件、福島第1原発事故などを担当

「株式会社共同通信社 Kyodo Weekly」 2020年6月8日号より一部修正して転載