コラム三科清一郎文化

「東京・神田祭」伝統の中の新しい変化

 「毎回、なるべく違う話をしようとしたんです」

 JR東日本・神田駅の横山幸悦駅長は今年5月の神田祭期間中、相次いで構内に突入してきた町神輿を前に10回もあいさつし、拍子木を入れた。駅が位置する千代田区鍛冶町二丁目(鍛冶二)をはじめ、近隣町会の担ぎ手からは「駅長!」コールが幾度も沸き上がった。
 
 傑作とされる鍛冶二の大神輿には、ガード下の倉庫に守られて奇跡的に戦災を逃れた歴史があり、神田駅開業100周年の今年は3月1日の記念事業でも駅周辺を巡行した。「神輿を年に2度も出すのは記憶にない。今年は良い年になると思う」と平野恵一町会長。
 
 5月10日(金)夕刻。今川中学校跡地に置かれた神輿に、大己貴命(大国主命)、少彦名命(えびす様)、そして関東の英雄、平将門命という神田明神の祭神三柱が遷されたあと、駅近くで鍛冶町一丁目や多町一丁目の町会の神輿と合流、仕事帰りが行き交うネオンの街を「宵宮」の雰囲気で満たした。

 翌土曜は明神の神輿などの大行列が氏子各町会を練り歩く「神幸祭」。鍛冶二の神輿は町内巡行後、日本橋の三越新館横まで運ばれ、神幸祭に続いて中央通り(来年の東京五輪マラソンコース)を進む「附け祭り」に加わり、平将門ゆかりの相馬野馬追騎馬武者などの後に続いた。沿道の鈴なりの観客には外国人が目立つ。

 「天天ツクツク天スケ天」。鍛冶二の神輿には、神田でも数少ない町会直属の神田囃子「鼓鍛冶」が加勢。五人ばやしを楽々乗せる大型屋台には衆目を集める存在感がある。神田囃子は武州葛西領の総鎮守香取明神の神職が18世紀に創作した神樂囃子が起源で、祭りの盛り上げには欠かせない。

 日曜(一部町会は土曜)は祭りのクライマックスの「宮入」で、大小200超の町神輿が大挙明神を目指す。鍛冶二は鍛冶一などの神輿や北乗物町の太鼓山車と「神田駅東地区連合」の編隊を組む。

 出発前、責任者がマイクで「担ぎ手ははんてんを着用し、帯を締めること。締め込みや入れ墨、腰ばんてんは禁止」とドレスコードを確認。「江戸の華」のけんかも厳禁だ。

 神様の乗り物(神輿)を過度に揺すったり上に乗ったりするのもNGで、「日本三大祭り」の格式を、今は現代風に「品よく」(平野町会長)守る。

 時間割が細かく決まっている神輿宮入は今年、午前中から時間が押した。昨年、境内に完成した文化交流館「EDOCCO」が動線を変えたためらしい。そして暑かった。

 神輿が肩に食い込む担ぎ手も楽ではないが、各氏子町会とも結束ぶりをみせたのは、外食文化が根付く神田ならではの「飲みニケーション」のたまものだろうか。

 鍛冶二の場合も青年部長を中心に飲み会がことあるごとに開かれ、その最中も、「ウリ、ウリ」(神輿を担ぐときの掛け声)と祭りモードに入る。

 都心回帰現象で神田地域も近年、夜間人口が増加に転じた。「マンション新住民」は総じて地元の行事に関心が薄いが、伝統の磁力に次第に引き付けられていく。

歴史の力

 多町二丁目町会では最近、マンションへの転入者から初の青年部長が生まれ、行事を引っ張る。「江戸は大火で住民がどんどん入れ替わり、さまざまな文化を受け入れやすくなった。その文化を守るにも人手は必要」(田畑秀二町会長)。鼓鍛冶もメンバーは町外在住者が大半だが、祭りのない年も練習を重ねる。

 東京都心部では祭礼用の場所の確保も容易ではないが、閉校になった錬成中学校の校舎を利用した現代アート施設、「アーツ千代田3331」(外神田6丁目)は今年、神輿を祭りの間、置いておく場所として、近隣町会の御仮屋の設置場所を提供した。

 施設名の3331は神輿の上げ下げでたたく「神田一本締め」のリズム、「いよー、ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃ、ちゃ」を表す。

 「乗客を呼び込むため、歴史の力を借りながら街を盛り上げたい」(横山神田駅長)というJRの姿勢も、日本橋や神楽坂との近隣地域間競争の勢いで、やや劣勢にある神田には心強い。

 新技術も伝統を支え、一部の町神輿は位置情報発信システムを搭載。巨大なハリボテの人形などが練り歩く、「附け祭り」には地域の鮮魚店協力の下、3Dプリンターで作った魚の被り物も登場した。大国主命といえば因幡の白ウサギやネズミというノリで、漫画・アニメ好きの明神は「ご注文はうさぎですか??」や「とっとこハム太郎」ともコラボ。祭りの告知ポスターにはアニメキャラがあふれる。

 八五郎がいきなりこれを見たら、「親分、てえへんだ」と、明神下の銭形平次の元に駆け込むかもしれない。

[筆者]
ジャーナリスト
三科 清一郎(みしな せいいちろう)

「株式会社共同通信社 Kyodo Weekly」 2019年9月9日号より一部修正して転載