「『甘え』の構造」から考える日本と台湾の一方通行
東京国際大学国際関係学部教授 元産経新聞台北支局長 河崎眞澄
(不動産経済Focus & Research 2024.7.24掲載)
ある年代以上に限られた意識かもしれないが、ビジネスシーンでも、初対面の相手でも、何らかの厚意を示してくれた人に対してわれわれ日本人はよく、「ではお言葉に甘えて・・・」と、遠慮がちながらも親切を受け入れることがある。あるいは会話の前段階で、自分では無意識のうちに「ひょっとしたら相手が気を利かせて優しく対応してくれるのではないか」と期待を抱いていることもあるだろう。
しかし、例えば海外旅行先のレストランや観光地で、日本から来たと話してニコニコしていれば外国人観光客だから特別に接してくれるのではないかなどと「甘え」た感情でいても、実のところ想像していたような対応はまず受けられない。「なによ、この人たちぜんぜん気が利かないわね」と、心の中で外国人のサービス精神に悪態をついて、むっとしている日本人も少なくないように思われる。
ただ、この「お言葉に甘えて・・・」という表現、まして「甘え」という感覚は、日本人だけの限られたガラパゴス的な発想らしい。精神科医、土居健郎(どいたけお)が著した1971 年2月初版の名著「『甘え』の構造」( 弘文堂) に示されている。半世紀以上も読まれ続けたベストセラーで、ご存じの方も多いだろう。欧米では日本人の「甘え」にニュアンスがぴったりの表現は見当たらない、と土居は言う。
いまなぜ「『甘え』の構造」を持ち出したか。その理由は、世界で最も親日的な「台湾」と日本の関係が、台湾人に対する日本人の「甘え」による一方通行だった、と考えられるからだ。このまま「甘え続ける」状況であれば、震災など天災、大事故などの際に日台が互いに誠心誠意助け合い「善の循環」と言われた、従来のような密接な間柄や感情がしだいに薄れてしまうという懸念を感じている。
台湾の元総統、
李登輝ら日本語世代の恩恵
土居は著書でアジアには触れていないが、1945 年まで50 年間、日本が統治し高度な日本教育を行った台湾は、現在でもある程度は
日本人の「甘え」が通じるほぼ唯一の外国だ。当時、日本教育を受けた台湾人の日本語能力と日本人的な感覚こそが、戦後も日台関係をさまざまに発展させてきた原動力であったことは疑う余地がない。
日本人は台湾人の厚意に「甘えっぱなし」であった。しかし冷酷にも、歳月は否応なく過ぎていく。政界で言えば、椎名素夫や安倍晋三、小池百合子らが心酔した李登輝(りとうき)元総統が代表格だ。台北郊外に生まれ、旧制一高や三高に並ぶ旧制台北高校から京都帝大に進んだ農業経済学者で、偶然が重なって2000 年まで12 年間総統を務めた。
訪台した日本の議員らで、政治家として、人格者として李登輝を称えぬ人はまずいない。経済界で言えば、台北帝大と東京帝大に学び、台湾セメントを中心に事業を拡げ日本でいう経団連会長の職にも就いた辜振甫(こしんぽや)、商業学校で苦学しながら船舶事業を発展させ、海運から航空会社までつくり上げた張栄発ちょうえいはつらの姿と日本語を思いだす。
高度経済成長期の日本企業が、海外進出の足掛かりにまず頼ったのが台湾の日本語世代の経済人だった。日本が台湾の領有を放棄した敗戦から、今年で79 年が経過する。1923(大正12)年生まれの李登輝は2020 年に、1917(大正6 )年生まれの辜振甫は2005 年に、1927(昭和2 )年生まれの張栄発は2016 年に、それぞれ逝去している。日米台の要人を水面下でつなぎ、永田町でも知らぬ者はいないとまで言われた1937(昭和12)年生まれのキーマン、彭栄次(ほうえいじ)も2023 年に亡くなった。
日本の政財界に台湾を真に
理解できる人物はいるか
もちろん、戦後の日本に留学するなどして戦前の世代を継ぎ日台関係を深く結び付けた人物も数多い。政界では京都帝大大学院に学んだ元行政院長( 首相) で、8年余り務めている駐日代表を近く離任する1946 年生まれの謝長廷(しゃちょうてい)が知られる。
経済界では戦後、慶応大に学んだ電機メーカー大手のトップで1940 年生まれの黄茂雄(こうしげお)ら、枚挙にいとまがないほどだ。では翻ってこれまで日本の政財界で、台湾で使われる中文などを使いこなす高度な言語能力や、台湾人の心情を理解する力を持つハイレベルな人物がいただろうか。むろん外務省でチャイナスクール出身の一部、例えば前中国大使の垂秀夫ら、あるいは商社やメーカーなど大手企業で言語研修を積んだビジネスマンなど、台湾と民間のパイプになり得る人物はいるが、政界には残念ながら見当たらない。
言語能力のみならず信頼関係の構築など、日台の深い相互理解が可能な人物の比率は肌感覚で言えば、多く見積もっても1対9 。もちろん台湾が9で日本は1にすぎない。かくいう筆者も日常会話や得意な分野の会話はなんとかなるが、深い議論や綿密な交渉、高度な書面のやりとりはお手上げだ。中華圏に通算15 年間赴任の経験があっても、「甘え」が勉強不足を招いたのは恥ずかしい。台湾における新聞記者時代の取材の半分くらいは日本語で事足りた。
2020 年に上梓した『李登輝秘録』(産経新聞出版)の計18 年にわたった取材もそうだ。主人公の李登輝との数十回のインタビューや同行取材では、李登輝はもちろん夫人の曽文恵(そぶんけい)、同行した彭栄次らとは90% 以上、日本語で会話したことも告白せねばならない。だからこそ「甘えの構造」の崩壊に危機感を抱いている。他方で台湾では、日本のアニメやゲーム、音楽などの影響で日本びいきとなり、日本語を学ぶ若い世代が数多くいることも確かだ。年間で延べ500 万人前後が往来する日台間で、400万人近くは台湾人であり、親日の気持ちを抱いてくれていることに日本人は感謝せねばならない。ただ、戦前の日本語世代が「日本人」として育てられ日本人の心情を深く理解していた時代は過ぎ去った。
日本の真の味方は「台湾」だけ
もちろん欧米留学派など、英語能力に優れた台湾人も日本人も少なくなく、言語の上では意思疎通をはかれる場面は増えているし、そのことは歓迎すべきだ。ただ、迫りくる台湾海峡危機など安全保障問題や、半導体産業をめぐる日台政財界の協力体制構築、震災などでの相互支援体制など、外交関係なき日台を深く結びつける人物が、日本のみならず台湾でも減っていることは否めない。
改めて考えたが、日本人の「甘えの構造」がなにか欧米に劣るような、恥ずかしい思考だとは決して思えない。互いに好意を感じ甘え合うことで、誠意をもって自ら「おもてなし」する気働きの精神が成熟し、そこに長期的な信頼関係と発展が生まれることは、健全だった時代の日本社会の見えざる本質だった。その延長線上に台湾もあり、日台の親密度と信頼関係は世界に類を見ないほどだ。
この先の日台関係になにか特別な処方箋があるわけではない。しかし、台湾人の言語も心情も十分に理解できず、一から十まで互いに英語で要求を言い合い、義理も人情もない数字だけの冷めた関係になってしまう時代が来るとすれば、それは日本にとっても、日本人にとっても自殺行為に近いと言える。ロシア、北朝鮮そして中国に囲まれた日本にとって、地政学的に真の味方は台湾しかいない。われわれは自らに「甘えの構造」があることを十分自覚したうえで、しかし「甘え」だけではない自らを鍛え、磨き、そして地球儀を俯瞰できる国際性と能力を持つ誠意ある若き日本人を育てることに全力を尽くさねばならない。
そうした日本人の真摯な姿勢を理解し敬愛してくれる心情を抱く人々が人口の過半数を占める外国は、お隣の「台湾」以外にはないと、筆者は長年の経験上、断言できる。台湾人が日本人とこの先も運命を共にする覚悟を示してくれるであろうとの期待を「甘え」としてもいい。しかし、そこに至るためには日本人の大多数が台湾への理解を深め、民主主義社会の価値観を共有する家族の一員と認識することが最低条件だ。国際情勢をめぐるさまざまな危機意識をバネに、東アジアの安定と繁栄を日台がリードせねば、平和な時代は決して長くは続かないだろう。
(敬称略)
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