コラム地域菅沼栄一郎

水環境、自然の力で「浄化」する これからの水づくり

毎日、水道の蛇口をひねると出てくる「水」。私たちが目にするまで、一体どうやって作られるのか? 水が「浄水」される過程があることをご存じだろうか。今では、塩素などの薬品を大量に投入する「急速ろ過法」が多数派だが、水中の微小生物群が不純物をもぐもぐ食べる昔ながらの「緩速ろ過法」が、今なお残っている地方もある。長野県上田市で「谷川の清水に近い水」を飲むことができるという評判を聞き、おいしい水づくりの原点をたどった。

 長野県上田市にある「染屋浄水場」は2年後に、建造100周年を迎える。信州大名誉教授の中本信忠さん(79)は、そのろ過池をベースに30年以上、水の研究を続けてきた。


 千曲川の水を引き込んだプールのような「ろ過池」が13個広がる。池の縁にしゃがんで、2人で水の中をのぞき込みながら、中本教授がこう言った。


 「ゆっくりとろ過をするから、緩速ろ過って名前がついたけど、小さな生き物たちが水の汚れを食べるところに着目して、ぼくは、生物浄化法って呼んでいるんですよ」


 ろ過池には約1メートルの砂層があり、川から取り込んだ水が1時間に40センチ、ゆっくりと沈んで行く。砂層の表面や密集する藻のすき間には、昆虫の幼虫や、小さなミミズ、線虫などの微小な生き物たちがいて、水の濁りや細菌を片っ端から食べ、分解、除去する。山で土壌にしみ込んだ雨が、土中の微小生物の働きで浄化されるプロセスと同じだ。


 藻が色濃く育ったろ過池の水をすくって顕微鏡でのぞいてみると、小さな虫が、盛んに汚れを飲み込んでもぐもぐ。あっという間に透明な消化管を通過して、ふんを放出した。藻の繊維のすき間を潜り抜けながら、そのふんをいくつかまとめて飲み込むミミズもいる。


 「藻があると、太陽の光で光合成をして酸素を出すから、生物の動きが活発になるんですよ」。顕微鏡を調節して、画像をもう一回り大きくした中本教授が、説明してくれた。私は、うなずきながら思った。「もぐもぐ浄化法は薬品よりスマートだな」

イラスト 長岡春美

途上国など30カ国に拡大

 「緩速ろ過法」は、200年余り前に英国で考案され、日本でも戦前は主流だった。戦後になると、駐留米軍が推奨した薬品主体の「急速ろ過法」が広がった。「緩速ろ過法」は古い技術と宣伝され、今では全浄水量の3%ほどに激減した。


 しかし、シンプルで建設費をあまりかけずにできるといったメリットから、インドネシアや中国などの途上国を中心に、30カ国余りに広がった。国際協力機構(JICA)では中本教授を講師として招き、途上国の人たちへの「緩速ろ過法」=「生物浄化法」の研修会を続けている。

水道改革の機運

 一方、長野県では今年5月末、広域化を目的とした水道改革に着手した。長野県営水道と上田市・長野市など3市の事業者が運営する、8カ所の浄水場のうち3カ所を廃止するなどの削減案が示された。50 年後までに整備費など計160億円を削減する長期計画だ。長野県としてはこの統合案を起点に、全県に水道改革の機運を広げたい考えだ。


 日本の水道は、戦後の高度成長期に急激に普及し、1950年には26・2%だった普及率は、1980年には90%を越え、現在は98%と、ほぼ国民皆水道を達成した。しかし、2008年をピークにした人口減少とともに料金収入も落ち込んだ。水道施設の老朽化も進むなかで、「広域統合」が自治体の待ったなしの課題となっている。


 厚生労働省によると、水道事業体の広域化の動きは2010年代に本格化、北九州市や大阪府、埼玉県秩父市、岩手県、群馬県などに広がった。岩手県の北上市など3市町の水道事業を統合した「岩手中部水道企業団」は、これまでに10浄水場などを廃止し、89億円の将来投資を削減した。「水道が危ない」(朝日新書)の著者、菊池明敏・同企業団前局長は、「ダウンサイジングは待ったなし。水道専門家による統合事業体設立が望ましい」という。


 染屋浄水場は、今回の長野モデルの中心施設となっているが、今のところ改革の焦点は、統合による広域化であり、ろ過法の変更ではない。上田市の有志約30人で作る「おいしい水を広める市民の会」は、染屋浄水場をベースに勉強・運動を続けている。「私たちだけがおいしい水をいただくのでは申し訳ない。少しでも多くの人に知ってほしい」。川田富夫・事務局長は言う。


 「生物浄化法はお金をあまりかけずにおいしい水ができるのに、なぜ広がらないのでしょう?」と聞くと、中本教授は「お金がどこに流れるか考えればわかるでしょ」と小声で教えてくれた。


 水道局の職員が「コンサルが持ってくる設計図は、急速ろ過かもっと値の張る膜ろ過ばかり」と嘆くのを聞いたことがある。ある水道の専門家は言う。「大手メーカーにとって急速ろ過こそ稼ぎ頭。緩速ろ過はうまみがない」


 緩速ろ過の浄水場は、東京都の「境浄水場」や名古屋市の「鍋屋上野浄水場」など、都市部でもなお健在だ。「鍋屋上野浄水場」は創設100周年の2014年に改めて緩速ろ過施設を更新した。水道水は「塩素臭い」との苦情が広がって、ペットボトルの水が普及した時代もあった。今なら、ペットボトルを買わなくとも、「もぐもぐ浄化法」で谷川の水が手に入る。


 この先、財政再建、省力化が本格的に求められる時代に、ふさわしい浄化法は何か。「水をめぐる議論」を広げたい。

筆者略歴

ジャーナリスト
菅沼 栄一郎(すがぬま・えいいちろう)
1955 年生まれ。80 年、朝日新聞記者に。福島支局、北海道報道部、東北取材センターなど地域を歩いたほか、政治部で自民党などを担当。共著に「水道が危ない」(朝日新書)。現在は、震災復興など地域の動きを中心に取材。

(Kyodo Weekly・政経週報 2021年10月11日号掲載)

プルメリアでは多岐にわたるテーマとスピーカーによる講演・セミナーをアレンジしています。ご相談は、こちらよりお問い合わせください